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東日本大震災から12日経って、やっとネットが繋がりました!
みなさん、ご無事でしょうか?
私の住んでるところは、宮城県の名取市から5km、職場は東松島氏から7kmと、どちらも大津波のあったところから近いところにあります。
3月11日の地震の時は職場にいて、今までに経験したことの無い揺れを経験しました。
もちろん薬局の中はめちゃくちゃです。
棚の商品は全て崩れ落ち、カルテは散乱し、コンピューターもひっくり返りました。
幸いけが人はいませんでしたが、スタッフの二人が、石巻市から通勤していたため、すぐに帰宅してもらいました。
そのとき、電気が通じず、片付けや、患者さんの対応に追われていたため、ラジオ等からの情報を全く入れていなかったので、津波が来ていることなの知る余地もありませんでした。
その後4日間、石巻のスタッフと連絡が取れませんでした。
私は帰ってもらった時間がちょうど津波に当たる時間だったので、巻き込まれたのではないだろうかとか、孤立状態になって救助を待っているのではとか、探しに行かなければ行けないとか、いろいろ考えました。
電気も水道もガソリンもない。店も開いていない。不安はどんどん増してきます。
薬局は非難してくる方々の薬を作らなければ行けないので閉めるわけにはいきません。
ろうそくをともしながら調剤をしました。
そして5日目の朝、薬局の入り口に、泥だらけの長靴を履いて、真っ黒で、ひげ面のフードをかぶった男性が立っていました。
「とし子先生、生きていました!」
薬剤師の木村先生でした。みんな泣いて喜びました!
先生はおばあちゃんが一人で家にいたので、救助に向かいましたが、途中で津波が来てしまったので、山の上に避難。車の中で一晩を過ごしました。おばあちゃんは近所の人が助け出していてくれて無事でした。でも、先生の家は二階部分まで水に浸かって着の身着のままで親戚の家へ非難しているそうです。
その後、もう一人の石巻市のスタッフとも連絡が付いて、みんなの無事を確認。
薬局に来られる患者さんの中には、片手に妻の手を、もう片方に子供の手を繋いで逃げていたら、妻の足がものに挟まれてしまって、泣く泣く妻の手を離してしまったとか。救助作業をしていたら、泥の中から子供の頭だけ出てきた。とか、積み重なった車の中には未だに死体が入っているとか、聞くに堪えないような事実が聞こえてきます。
科学的に言うと、事故や事件、悲惨な事実は耳にしない目にしない、口にしない方が、潜在意識の中に入らないからいいそうですが、思いというものはいずれ薄れてしまう。
薄れないと人間は生きていけないので、そのときはそれでいい。ただ、今思ったことを残すためにあえて私はここに書き記しておこうと思います。
こんな北の地で、鹿児島や兵庫県の救急車や消防車を見ると、ありがたくて涙が出てきます。
ラジオで励ましのお便りを聞くとまた涙が出ます。
私達は今できることを精一杯120%の力でやり遂げるしかありません。
よくあまりがんばるなと言われます。ありがたい言葉です。
でも、今がいざというときで緊急時なんです。今がんばらないでいつがんばるの?
バッテリーと同じ。ちょろちょろ使っていると電池がたまらなくなるよ!
が=”っと使って、またガッチリ溜めればいいじゃない。

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